陸羯南関連エントリー

陸羯南に関して改めて思うこと

前回の記事で少し述べましたように、今修士論文とは別に原稿を作っています。陸羯南について書きます。原稿料などが発生するようなものではないのですし ... 改めて陸羯南という人はすごい人だな、と思いました。そしていかに既存の研究が陸を ...

陸羯南に関して改めて思うこと

陸羯南の大きさを知る

... 最初に東京にある「陸羯南研究会」主筆の高木宏治さんが「陸羯南と『日本画報』」と題して、新聞「日本」の付録で日本初のグラフ誌である「日本画報」復刻にまつわるエピソードや、陸羯南が言論人としてだけはなく新聞技術発展にも寄与した功績を ...

陸羯南の大きさを知る

折々の言の葉14 陸羯南

... 陸羯南著『近時政論考』 これは、明治言論界の巨峰であり、新聞『日本』を舞台に活躍した陸羯南の言葉である。この陸の言葉は、「住人」と「住屋」の比喩を用いて、「個人の自由」と「国家の権威」の関係の有り様を示している。 ...

折々の言の葉14 陸羯南

陸羯南

陸羯南 くが かつなん 安政4年10月14日~明治40年9月2日 (1857~1907) 青森生まれ。 父は弘前藩士。 東奥義塾、宮城師範学校に学ぶ。 明治9年(1876)上京して司法省法学校本科へ入学するが、12年(1879)4月退学処分を受けた。 ...

陸羯南

ウィキペディアの陸羯南

... 今日は ウィキペディアの陸羯南の項目 を大幅に加筆いたしました。ご覧頂けたら幸いです。私は陸羯南は徳富蘇峰と同じくらい知名度を得ていても全くおかしくない人物だと思っております。その陸羯南が現在日本史研究者以外では全くの無名になっ ...

ウィキペディアの陸羯南

陸羯南とは?

陸羯南(くが かつなん、1857年11月30日(安政4年10月14日 (旧暦) 10月14日) - 1907年(明治40年)9月2日)は明治時代の国民主義(民族主義)的ジャーナリスト。本名、中田実(陸実)。津軽藩藩医・中田謙斎の二男。親戚の陸家の名跡を継ぐ。郷里の東奥義塾を経て、宮城師範学校に入学するが、薩摩国 薩摩出身の校長の横暴に抗議、退校処分となる。次いで、司法省法学校に転校。ここでも校長の態度に反発し、退学。ここでの同窓生に、原敬がいる。北海道に渡ってのち再度上京し、フランス語が堪能だったことから太政官書記局員となる。しかし1887年、政府の条約改正・欧化政策に反対して退官。何がなんでも西欧列強に肩を並べたいという政府の方針に対し、日本の伝統に基づいた穏やかな近代化を提唱した。

陸羯南の詳細

陸羯南に関するニュース


北海道新聞

記事
北海道新聞
陸羯南の石碑を撮影する番組制作会社スタッフ。(左)は陸羯南会の舘田会長 NHKは、12月に4週連続で放映予定のスペシャルドラマ「坂の上の雲(第2部)」に弘前市出身で明治時代を代表する言論人、陸羯南(1857~1907)が登場する一環として、事前のPR番組で羯南の生涯を ...


北海道新聞

陸羯南研究会が「東亜時論」復刻
北海道新聞
陸羯南(くが・かつなん)や笹森儀助ら県人も深くかかわった東亜同文会の初期の機関誌「東亜時論」が、陸羯南研究会(東京、高木宏治主筆)の企画により復刻された。同誌の存在は知られているが、所蔵図書館が極めて少なく、しかも一部が欠落している場合がほとんど。 ...

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中野目教授、羯南研究で講演
東奥日報
弘前市出身で明治期を代表する言論人・陸羯南(1857~1907)の研究会「陸羯南会」(舘田勝弘会長)は7日、弘前文化センターで講演会を開いた。筑波大学大学院人文社会科学研究科の中野目徹教授(日本近代思想史、史料学)が「陸羯南研究の動向」と題し講演した。