岡倉天心関連エントリー

岡倉天心黄金坐像富士見坂☆来客あり!

... マンションがなかったら良く見えるのにね! 東京美術学校(現東京芸術大学)の設立に貢献した 岡倉天心の記念公園がありました 六角堂をのぞくと 黄金の坐像に しっかり鍵がかけられていて 写真が撮れない 岡倉天心坐像 ガラスの網越しにカメラを ...

岡倉天心黄金坐像富士見坂☆来客あり!

あらためて「茶の本」岡倉天心著(桶谷秀昭訳)を読んで

... そこの売店に「茶の本」岡倉天心著(桶谷秀昭訳)が置いてあった。以前にも何がきっかけであったのかはもう忘れたが、岡倉天心の「茶の本」を古本で買った記憶がある。平櫛田中の彫刻による岡倉天心像のエキゾチックな姿にほだされていたからかもしれない。 ...

あらためて「茶の本」岡倉天心著(桶谷秀昭訳)を読んで

政治から美術へ~岡倉天心を転身させた奥さんのご乱心

... 近代日本美術の発展に尽くした人 それが、 岡倉天心 (てんしん) なのです。 ・・ 岡倉天心は、本名を 岡倉覚三 (かくぞう) と言い、生糸の輸出業を営む元福井藩士・ 岡倉勘右衛門 (かんえもん) の次男とし ...

政治から美術へ~岡倉天心を転身させた奥さんのご乱心

岡倉天心

こないだ「その時歴史が動いた」でやってた、岡倉天心のお話、よかったのでメモ。 廃仏毀釈運動で、仏像が破壊されたのを、修理したのがこの岡倉天心。そんとき、彼が用いたのが、「現状維持修理」という方法。 その名の通り ...

岡倉天心

岡倉天心『茶の本』(岩波文庫)読了

岡倉天心の『茶の本』が出版されて100年だそうだ。NHK教育テレビの『岡倉天心アジア100年の旅』でも紹介していたが、日露戦争直後に書かれたこの本書き出しで天心は「西洋人は日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国とみなしていたものである。 ...

岡倉天心『茶の本』(岩波文庫)読了

岡倉天心とは?

岡倉 天心(おかくら てんしん、男性、文久2年12月26日 (旧暦) 12月26日(1863年2月14日) - 1913年(大正2年)9月2日)は、明治期に活躍した美術家、美術評論家、美術教育者。本名岡倉覚三。幼名は角蔵。弟は英語学者の岡倉由三郎。横浜生まれ。
福井藩士だった父親岡倉勘右衛門は貿易商人 商で、幼いころから英語に慣れていた。東京開成所入所。政治学・理財学を学ぶ。英語が得意だったことから、同校講師のアーネスト・フェノロサの助手となり、フェノロサの美術品収集を手伝った。
東京都台東区に岡倉天心記念公園(旧邸・日本美術院跡)がある。また、ニューヨークで英語で「茶の本」を出版して100年にあたる2006年には、天心が心のふるさととしてこよなく愛した福井県の大本山永平寺において、岡倉天心「茶の本」出版100周年記念座談会が行われる(10月9日(月・祝))

岡倉天心の詳細